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 4月に、東京上野にある東京芸術大学美術館に「東西美人画の名作~序の舞への系譜~」を見に行ってきました。会期は5月6日(日)まで。この展覧会は上村松園(うえむらしょうえん)の『序の舞』の修復が終わったのを機に企画されたもので、江戸時代から近世に至るまでの、美人画の系譜を辿る内容になっています。

 上村松園(1875~1949)は京都に生まれ、独自の美人画様式を確立して1948年に女性として初の文化勲章を受賞した日本画家です。松園が「私の理想の女性の最高のもの」と語った『序の舞』(1936年作)は代表作で、後に重要文化財に指定されました。

 日本画は、胡粉(ごふん)や岩絵具(いわえのぐ)と言った顔料で描かれます。胡粉は貝の殻を砕いたもので、岩絵具は鉱物を砕いたものですね。

 『序の舞』は制作から80年が経過し、これらの顔料の剥落が激しくなってきたので、現状を維持するための加工が施されました。元々は額絵だったのが、途中で掛け軸にされ、巻くことで劣化を早めたので、この機会に額絵に戻されたとも聞きました。

 「美人画」というのは、単純に言えば女性の美しさを強調して描いた絵ということになります。17世紀に江戸で生まれた浮世絵には、歌舞伎役者を描いた「役者絵」や、物語や歴史上の武将を描いた「武者絵」、そして花魁や町娘を描いた「美人絵」などがありました。

 そもそも浮世絵は、「見返り美人」の作者として有名な菱川師宣(ひしかわもろのぶ)によって始められたと言われており、浮世絵は美人絵から始まったという説もあるくらいです。この浮世絵の中の美人絵が、美人画のルーツとなります。

 美人絵のモデルは、当時人気のあった遊女や花魁、町娘などが主ですが、稀に少年を中性的に描いた絵を含める場合もありました。モデルの人物の顔立ちからは、当時の人々の美意識が見て取れます。美人絵は、男性にとってはブロマイドやポスター的な要素が強かったでしょうね。

 また、当時流行していた髪型や着物の着こなし、その柄なども重要で、女性にとっては現在の女性ファッション誌のごとき存在であったろうと思います。

 明治時代になっても、浮世絵はしばらく、幕末からの様式を引き継ぐ美人画が刷られていました。しかし大正時代になると、竹久夢二が浮世絵の様式と大正浪漫を融合させた「夢二式美人」と呼ばれる美人像を描き、評価を得ました。夢二の美人像は、現代でも大変人気がありますよね。

 その後、東京の鏑木清方(かぶらぎきよかた)と京都の上村松園がこの分野での地位を確立し、「西の松園、東の清方」と称されるようになりました。また伊東深水(いとうしんすい)も、この分野で名を成しています。

 近代の画家達は写実的に美女を描いているので、浮世絵の雰囲気とは少し違います。でも、日本画の高い技術や絵の持つ気品、美しさの中のデフォルメ感など、近代の美人画と浮世絵の共通する部分は多くあります。

 これら近代の美人画が流行し始めたのは、大正5年頃と言われます。1907年(明治40年)に、現在の「日展」の原型となった「文部省美術展覧会(文展)」が始まりました。そして大正4年に行われた第9回文展で、美人画専用の一室が設けられ、多くの美人画が展示されました。

 当時、浮世絵は庶民の低級な芸術と見なされていたため、浮世絵を原点とする美人画は批評家達から集中的な非難を浴びたそうです。しかしこの展示がきっかけとなり、女性の美しさを描いた美人画は評判を呼び、大正5年頃には大流行しました。こうして「美人画」は、日本画のジャンルの一つとして確立していったのです。

 ついでに言えば、「美人画」という用語は日本発祥の呼び方で、主に東洋画を指します。しかし現代では洋画であっても、同じ主題のものであれば美人画と呼ぶようになっています。

 実は私、この展覧会を見るまでは、「美人画」というのを誤解していました。美人画は単に美しい女性をモチーフにした絵だと思っていたのです。でも、それは間違いでした。

 『広辞苑』での美人画の定義は、「女性の美しさを強調し・・」という抽象的表現で規定されており、『現代日本美人画全集 名作選』では、「女性の中にある美を探究し、モチーフとしたもの」と定めています。つまり、単に「美人を描いたもの」という言葉だけでは、美人画の本質は語れないのです。

 実際、今回の展覧会で展示された美人画には、赤い炎の中で焼き尽くされようとしている鬼女のごとき女性もいましたし、花柳界で長く生きてきた老妓が鏡台の前で静かに座っている・・というものもありました。

 近代の美人画には決まりごとがあって、どの時代の女性を描くにしても、その時代に合った髪型や着物の柄、小道具、調度品などを用い、画面の中できちんと時代考証がなされていること。また、描かれる女性に関しては、その身分や生い立ち、性格、心情、思想など、容姿だけでなく内面を描き出したものでなければならない、というものです。

 私は、美人画を描くのは男性画家だろうと思っていたので、この展覧会で、上村松園をはじめとして女性画家が多いのに驚きました。しかし考えてみれば、女性の内面を深く描けるのは、やはり女性ですよね。

 男性は、女性を性の対象として見る部分があるので、妖艶で、男に媚びる風情の女性を描くことが多いような気がします。しかし女性の描く女性像は、内面の強さや品格を表しています。

 松園の美人画は、女性にしか描けない女の美しさ、尊さを導き出し、それを男社会の画壇に示したのです。それは、卑俗なところの一点もない、清らかで気高い女性の姿でした。

 上村松園の「序の舞」は、能の中でも最も品位があると言われる『序の舞の二段おろし』の場面で、舞い手がゆっくりとした動きから次の一歩を踏み出す、静から動へ移る瞬間を捉えたものです。

 その一歩には渾身のエネルギーがみなぎり、ぐっと握り込まれた左手は指先が桃色に染まり、身体の隅々にまで緊張感が漂います。 女性の眼差しは揺らぐことなく、まっすぐ前を見据えている。一歩を踏み出す、その決意の先には何があるのか。

 松園は、今までにない最高の美人画を描きたいと、並々ならぬ意気込みでこの絵に臨んだそうです。60歳を過ぎ、新しい美の境地に挑んだ執念の絵で、「何ものにも犯されない、女性の内に潜む強い意志をこの絵に表現したかった」と語りました。私は、何かに迷っている女性にこそ、この絵を見てほしい!と思いました。

 松園は能楽にも造詣の深い人物でしたから、今回の展覧会には、序の舞の他に2点、能をテーマにした絵が展示されていました。

 この展覧会では、全員に音声ガイドが無料で貸与されます。能の謡だけを聞けるチャンネルがあり、それを聞きながら絵を見ると、本当に絵の世界に引きずりこまれるようでした。

 なんて気の利いた演出なのでしょう!さすが、東京芸大です。ちなみに、音声ガイドの語りは、女優の竹下景子さんでした。

 松園の「序の舞」が一番の見どころではありますが、その他にも素晴らしい絵がたくさんありました。そのうち、私が特に心打たれた3点をご紹介しましょう。

 「伊香保の沼」 松岡映丘 (まつおかえいきゅう/男性/1881~1938年)

 時は戦国永禄九年、群馬県高崎の武将であった木部範虎は、激戦の末、城を落とされます。落城に至る前、範虎の妻、木部姫は城を脱出して榛名山に避難しましたが、落城の報や、味方の戦死の知らせが来るばかり。

 榛名湖の湖畔で朽木に腰掛け、足や着物の裾を水に浸した姫は風に髪を乱し、物憂げな表情です。姫の背後に漂う霧が、その後の木部姫の運命を暗示しているかのよう。

 この後、家臣たちが見ている前で姫は入水します。すると姫の体は一匹の龍と化し、天高く駆け登っていった・・という伝説の一場面です。

 背景の榛名湖と榛名山の描写が秀逸で、迫力があります。松岡映丘は東京美術学校の教授を長く勤め、大和絵の復興に努めた人物。松岡映丘の魅力の一つは、この優れた風景描写にあると言われます。

 「殉教」 松本華羊(まつもとかよう/女性/1893~没年不詳)

 満開の桜を見上げる女性。その手には手枷と鎖が。当時禁教とされていたキリシタン信仰を捨てるのを拒んだため、処刑されることが決まっている。桜を見たいと望んだため、処刑が少し伸ばされて、最後の桜を眺めているという場面です。

 実はこの絵、これまでは『じゃがたらお春』の物語を題材としていると思われてきましたが、近年では岡本綺堂作の新歌舞伎『切支丹屋敷』に登場する、信仰を捨てなかったために自らの恋人である刑吏に処刑される遊女朝妻の、その死の直前の姿という説が有力視されています。

 松本華羊は、京都の上村松園、大阪の島成園と共に「三都三園」として知られた東京の池田蕉園(いけだしょうえん)の元で学んだ女性画家です。女性の夢見るような表情が切なく、儚く散る桜がその命と重なる作品です。

 「香のゆくえ」 島成園(しませいえん/女性/1892~1970年)

 豊臣方の武将木村重成の妻、青柳が、出陣前の夫の兜に香を焚き締めている場面です。木村重成は23歳。妻は18歳か、19歳。重成は眉目秀麗で立ち居振る舞いにも品があり、刀・槍・馬術に長けた貴公子であったと言われています。

 重成は大坂夏の陣で井伊直孝の軍勢に討ち取られ、首は徳川家康に献上されます。その首から漂う香の香りに、劣勢な戦いに進んで身を投じた重成の決意を感じ、家康が「敵ながらあっぱれ」と称賛したと伝えられます。

 夫の死を覚悟し、その名誉を守るため、兜に香を焚き締める若い妻。厳しい戦国の世を感じる一場面で、その「香のゆくえ」を考えると涙が出ます。このとき青柳は妊娠していて、その後男子を産みますが、重成の一周忌を済ませた後、自害するのです。

 成園が描き出す、深い愛情と悲しみ。女性ならではの視点であり、美人画の本質は、こういうところにあるのではないかな、と思いました。

 美人画は、単に美人を描いた絵ではありませんでした。その背後にあるのは、壮大な女のドラマなのです。こうした心揺さぶられる美人画に、これからたくさん出会いたいなぁと思う展覧会でした。
サイトのご案内

 2014年1月9日、NHK名古屋放送局のラジオ番組「夕刊ゴジらじ」に出演し、お餅のアレンジメニューについてお話ししました。スタジオには3品のお餅料理を持参し、試食をしてもらいながらの放送でした。その様子と当日のレシピは、下記のサイトでご覧いただけます。

  http://www.nhk.or.jp/nagoya/gojiradi/archives/2014/0109/index.html

  http://www.nhk.or.jp/nagoya-ana-blog/150/177293.html#more

 2013年2月22日放送のNHK「金とく」のスタジオ収録において、酒肴と器のコーディネートをしました(番組HPに掲載されている取材先での盛り付けは違いますが・・)。企画の流れでゲストの皆さまに愛知県の郷土料理「煮味噌」も食べていただきました。煮味噌のレシピは下記のホームページで確認していただけます。「金とく」は東海北陸エリアの食と文化の情報番組で、中部7県での放映となります。

   NHK名古屋放送局製作番組「金とく」 
  http://www.nhk.or.jp/nagoya/kintoku/archives/2013/20130222/index.html


 私のレシピを掲載している料理検索サイトです。トップページからの場合、「先生を選ぶ」→「高見ゆみ子」をクリックしてお進み下さい。


   ナスラックキッチン http://www.nasluck-kitchen.jp/
foodies


 今年度からこのページは、foodies(フーディーズ)の方々のブログに直接リンクします。それぞれのペースで更新も行われますので、時々チェックしてみて下さい。

「小柳才治の近況報告」
 
小柳才治先生の、ドイツ・ワイン・音楽をテーマにしたブログです。全国各地でワイン教室を開催され、年に数回はドイツのワイナリーを巡るなど、精力的な活動をされている小柳先生。スケールの大きな活動を回間見ることのできる、楽しいブログです。

「ドイツ マイスター修行」
 名古屋市中村区のハム・ソーセージ店「AKITA HAM」は、ドイツ認定食肉加工マイスターのお店。オーナー兼職人の秋田建博さんが、商品のこだわりや近況を綴ったブログです。


「おうち de CAFE」
 2010年に、このHPで「あっきーママのわくわく親子ごはん」を連載してくれていたあっきーさんが、フードコーディネーターENYAとして活動を始めました。知立カルチャーセンターでは、2012年4月から「子育てママのナチュラルごはん」という料理教室を始めています。子育てのこと、料理のこと、彼女の日常の生活を綴ったブログです。

aichi foods

 愛知県の郷土料理のご紹介です。2001年4月~2002年3月まで、愛知県のタウン情報誌に掲載していた原稿のリメイク版。1年間の取材により、季節ごとに12の味を紹介しています。
2010年11月の「食育の担い手養成講座」で考案された愛知の地産料理のページも追加しました。

lecture / gruop

 講座(lecture)は「須田先生の茶懐石講座」、知立カルチャーセンターの「懐石講座」、長久手あぐりん村での「世界の料理講座」、また自主グループ(gruop)として「世界の料理教室」「焼きたて倶楽部のパン教室」があります。こちらのページから各講座の詳細ページへリンクしています。新規参加者募集中の講座もあります。

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 三重県度会郡玉城町のスローフードレストラン「旬菜 野の花亭」、三重県鈴鹿市の「かふぇ工房 茶蔵(さくら)」など、高見が店舗プロデュースやメニュー提案を手がけたお店へはこちらからリンクしています。リンク集としては、壁紙を頂戴している素材サイトや相互リンクをしている生活情報サイトを掲載しました。

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 高見ゆみ子の経歴のご紹介です。仕事のご依頼等につきましては、こちらのページよりお受け致します。
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